2007年05月26日

フェミファシズム:上野千鶴子一考

1.はじめに

 今日は、フェミファシストの「カリスマ」的存在ともいうべき、上野千鶴子についてとりあげる。ご存知、上野千鶴子は、バブル時代に林真理子というフェミ作家と両輪になって、日本破壊に「勤しんで」きた。その『活躍』の場は、朝日新聞や朝日ジャーナルであった。シカゴ大学留学という肩書きを悪用し、『フェミニズム真理教』ともいうべきカルトを形成した、戦後レジームの集大成というべき、サタンである。
 昭和50年〜平成初期にかけて、日本の女が世界に誇るべき、貞操の固さ、つつましさ、優しさ、しなやかさを、じわじわの破壊してきた。「女の時代」「女の自立」などと、つまらん戯言を並び立て、公共心の破壊に成功した。
 おかげで、福島瑞穂や辻本清美、小宮山、猪口のようなフェミ婆が議員になるような素地を拵え、男女共同参画局なる日本滅亡を早めるような行政組織が出来てしまった。
 このフェミ婆の日頃となえていることは、ただ単に、「男対女」という構図で大衆構造を単純化し、手前勝手に勝利宣言しているだけである。端的に言えば、公道で勝手にウンコ座りして、酒片手にラッパ呑みしながらクダを巻いている酔っ払いが、上野流フェミニズムということだ。



2.論理的破綻者


 1)人格分裂

 上野は、『家父長制と資本制』(岩波書店)で、コジツケのロジックを撒き散らした。マルクス主義の「階級抑圧」と、「女は男に支配・抑圧されている」という原理的フェミニズムを、接木しただけの、理論的のみならず感情的にも破綻した代物であった。

 @)経済を知らない社会学者

 上野は、主婦の家事労働が「不払い労働」であり、「不生産的労働」などとのたまっている。これは、常識的に考えて、破綻している。よく考えていただきたい。旦那が外でシャカリキになって働き、生活費や教育費・娯楽費などを手渡している。その中から、わずかに小遣いをもらっているのが、実態ではないか?


 A)法律も理解できていない社会学者

 上野は、民法において、夫婦関係が協力関係なしでは成り立たないことが書かれていることを知らない。夫婦は、生活債務において、原則連帯責任を負う。
 まあ、この民法にも、問題点が多々あり、結婚前の財産は、別産制だったりする。また、名義がはっきりしないものは、夫婦共同所有(共同名義)になる。そういったことも、フェミは無視しつづけるのであるから、洒落にならない。


 B)蛸壺にはまった社会学者

 上野は、「個人が直接給付を受けていないので、『奴隷的な不当』がある」と屁理屈を捏ねた。
 おまけに、人間関係をすべて経済関係に当てはめ、経済的・計量的契約関係に見たたて、「不合理性・不当性」を言い立てる始末である。これは、態々犯人がいない自殺事件を、無理やり通りすがりの第一発見者を殺人容疑者としてしょっ引くような、蛸壺思考そのものである。


 2)多重人格

 上野は、ただ単に勉強が出来ただけの、お嬢様育ちでしかない。しかし、表現をいろいろ『発明』し、TPOで表現・態度を使い分けることで、政治的影響力も保持している。そのため、フェミの『カリスマ』でありながら、フェミ仲間においては評判がよろしくない。特に、江原由美子とは犬猿の仲である。

 @)メス版つぶやきシロー

 上野は、性格の悪さと醜悪な面相によって、適齢期を逃したために、フェミニズムに走ったことを暗に認めている。これでは、さすがに、『同志』たちからは、批難を浴びるのは無理はない。
 『フェミニズムの現在と未来』(松香堂)において、「自分の立場は時代錯誤。フェミニスト革命は有効性なし」と「無責任発言」を行っている。おまけに、『女遊び』(学陽書房)では、「女性学は、暇人の主婦がやるもの」といい、『多型倒錯』(創元社)では、「女屋に飽きた。一過性のカタルシスだった」などと来た。


 A)多重人格性

 上野の人格には、3パターンある。まず1つは、ジャーナリズムとしてのフェミニズムである。これは、まず、甘い憶測ばかりで、著書をしたためているため、失敗に終わっている。
 2つめには、社会的ダーウィン説を継承するマルクス的社会学者である。これは、1)でも書いた。マルクスやマックス・ウェーバーの思想で差別や階級抑圧を見ていく、というスタンスであるため、一般人の常識から大いにかけ離れてく。
 3つめは、浅はかな、マン・ヘイティング(対男憎悪)である。上野の場合、ただ単に、「権力の優劣」を「男VS女」に摩り替えたに過ぎにない。
 今までの日本は、「男は外で働き、女は家事・育児をやる」ことで、社会の安定を担ってきた。それを、上野や林真理子、それに連なる俄フェミ作家やフェミ政治屋が、散々情報アクセス権を十二分に悪用して、かき乱したのである。


 B)人権意識の低さ

 上野は、男女間の賃金格差や採用時における待遇の差を、「差別」として、ホエザル宜しくギャーギャー騒いだ。「性差」を「差別」というのだから、死体が起き上がって笑い出す始末だ。
 男に相手にされないものだから、「性的嗜好は、異性愛」と公言し、『女遊び』では●●●を本表紙にデカデカと自らのデザインで書く始末である。それでも、一時は同性愛に理解を示したそうだが、ただ単に研究対象としただけである。
 結局、「性の絶対自由」「個にとっての自由な性関係」から導き出したのが、『家族のリストラ』つまり、『家族の否定』であった。ちなみに、この自慰本は、アマゾンを見ると、8円で投売りされている。
 最悪なことに、『ザ・フェミニズム』において、『お前は人間でなく、たかだか男に過ぎない』と、シン・スゴのように男差別をやってのけた。ただ、これは、小倉千加子氏に、『女としての快楽』で書いていた「『共同体』が嫌いだが、『自立した個人』の罠にも嵌りたくない」という自己矛盾を自己神格化した点を突っ込まれて、自己批判のつもりで苦し紛れに言ってみただけのようである。




 3)無責任なサヨク主義


 上野は、後輩の面倒見がよくないようだ。フェミである吉澤夏子が、『女であることの希望』(勁草書房)で、「個人的なものは個人的」というと、「バックラッシュ(反動)だ」などとのたまった。「家族」を前面に出さなくとも、わずかにでも匂わせると拒絶反応を起す始末だ。ただ単に、現存社会は、すべて悪、という脳味噌構造が明らかだ。
 おまけに、フェミすべてに言える事だが、男女全員が結婚や家族を否定して、全員独身で「自由かつ抽象的人間」にあり、「自己決定権」を行使しまくる、というニーチェ的超人論を唱えている。その極地が上野千鶴子なのである。



 4)お笑い芸人


 上野は、お笑い芸人の『才能』も持ち合わせているようだ。フェミニストの癖に、夫婦別姓に反対している。ただ、その理由が笑える。
「結婚して、いちいちこの男と出来た、と国に届けるのが嫌だ。セックスを契約関係でするのが気に入らん。子供だけ登録してしまえば手取り早い。」という趣旨を、『ザ・フェミニズム』で書いている。
 上野は、社会学者などやらずに、お笑い芸人をやればよろしい。そもそも、結婚には、3つの意味がある。第一が、性愛の牽引力と労働秩序との整合性である。フリーセックスを公認してしまえば、スゥエーデンのように、離婚率50%を超え、性犯罪発生世界最悪になるのは目に見える。
 第二は、社会的承認手続きによる、実在不安解消つまり、自己否定の不安からの解放である。この契機を境に、人間は輝くのである。
 第三は、子供や相続の関係である。男もしくは女が金もって豚面してしまった場合、遺産相続権は消滅する。また、子供を届出するだけにしてしまうと養育義務は抹消される。



V:おわりに

 1)総括

 上野千鶴子は、確信犯的フェミファシストであり、厚顔無恥な政治主義者である。そして、自らの破綻した理論を書き殴った著書の数々は、書きっぱなしの資源浪費でしかない。そして、破綻した論理が、ニヒリズムに行き着くだけ、ということに自覚がない。結局のところ、大学という安全装置の中で、『確かな野党』というポジションを維持したいだけである。


 2)いいたいこと

 フェミニストは、過激派・在日・同和であることを隠し、既存の政党に潜り込んで、男女共同参画社会基本法やDV法なる天下の大悪法を拵えた。そして、毎年10兆円という血税を浪費しながら、他の行政府や立法府の無駄遣いを、鬼の首をとったかの如く騒ぎ立てる。それでいて、自らの無駄遣いを攻められると、子分を使って、テレファックス攻撃や抗議文乱発、ヒューマンチェーン、提訴という暴挙に出る。
 もういい加減、どの政党からでもいい。男女共同参画社会基本法廃絶を声高に掲げてほしい。共同参画利権も、結婚相談所と在日で結びついている。事実、家のほうにセールスで来た人物は、ほとんどが通名の名刺をだして日本人を騙った在日だった。よって、男女共同参画社会基本法を潰すことで、在日利権の一角が崩壊するのである。

 
posted by DOM at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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